日本はTCFD先進国
10月5日、経済産業省主催のTCFDサミット2022が開催された。今回で4回目となる。西村康稔経済産業大臣、前イングランド銀行総裁のマーク・カーニー氏、TCFDコンソーシアム会長の伊藤邦雄氏をはじめとして官民のキーパーソンが多数登壇した。日本では、TCFD賛同機関数が1,062機関(9月22日時点)に上り、世界の3,819機関のうち28%を占める先進国となっている。特に日本の場合、非金融機関の割合が機関数で72%(世界全体におけるその割合は40%)を占めている点が特徴であり、産業界で幅広く支持されている。世界情勢は激変しており、特に今年2月24日に始まったウクライナ戦争では、エネルギー価格が急騰し、ESGの観点では投資抑制の対象となるエネルギー関連企業の株価が大幅に上昇するなど、ESG投資の意義が揺るぎかねない状況となっている。しかし、サミット参加者からは、そうした世界情勢の変動が脱炭素の流れを停滞させることはなく、むしろ加速させるだろうとの見方が改めて示された。
ISSBが新たな世界の標準ルールを策定へ
世界的に気候関連情報の開示の機運が高まるなか、今回のキーワードとなったのが、自主的な開示(任意開示)から義務(制度開示)へ、ということであった。IFRS(国際会計基準)財団が2021年11月に設立したISSB(国際サステナビリティ基準委員会)では、非財務情報開示のルール策定を急ピッチで進めている。今回、ISSB議長のエマニュエル・ファベール氏も登壇したが、ISSBは、ユニバーサルなサステナビリティに関する情報開示の基準作りを行う。世界の企業と投資家が気候変動やその他のESGについて議論するグローバル・ベースラインを作ることになる。
TCFD開示の重要性は不変
これまで気候関連を含む非財務情報の開示については、世界で多くの団体が様々な基準を示してきた。しかし、ISSBはこれらを収斂して統一した基準を作ろうとしている。2021年6月にIIRC(国際統合報告評議会)とSASB(サステナビリティ会計基準審議会)が合併してVRF(Value Reporting Foundation)が設立されたが、2022年8月にIFRS財団がこれを統合している。多様なステークホルダーを対象としているGRI (Global Reporting Initiative)とも連携している。気候関連情報については、TCFDのフレームワーク、具体的には「ガバナンス」、「戦略」、「リスク管理」、「指標と目標」の4分野での情報開示を推奨することなど、がベースとなることをファベール氏は改めて確認した。ISSBは、今年3月にIFRSサステナビリティ開示基準に関する最初の2つの公開草案「サステナビリティ関連財務情報の開示に関する全般的要求事項」と「気候関連開示」を公表している。最終版の報告書は、パブリックコメントを踏まえて、年内には公表される方向である。気候関連情報については、TCFD提言に基づいた開示を行っている企業が日本にはすでに多いが、ISSBの新たな基準によってTCFDフレームワークの位置づけが大きく変わることはないと考えてよい。ただし、Scope 3のGHG排出量や産業別開示要件の追加など、より詳細な開示が求められる方向である。すでに、TCFD提言に従って気候変動に関連する情報開示を進めている企業は、まずはTCFDに準じた情報開示を行い、その後の開示強化の過程で、ISSB基準に順次対応していくことが現実的な対応と考えられる。この点については、後述の「TCFDガイダンス3.0」に詳しい解説があるので、実務対応にあたっては参照することが勧められる。
日本のプライム市場上場の要件
TCFDがここへきてより注目度を高めている背景としては、今年4月に行われた日本取引所グループによる市場区分の変更も大きい。昨年6月のコーポレートガバナンス・コードの再改訂では、プライム市場上場企業に対して「TCFDまたはそれと同等の枠組みに基づく開示の質と量の充実を進めるべき」としている。現在のプライム市場上場企業1,839社のうち、上記の基準での気候関連財務情報開示を行っていない企業は多数あり、それらの企業では今後対応を進めていかざるを得ない。
「機会」の開示の充実が求められる
今回のサミットで、活発に議論されたテーマの一つが「リスクと機会」のうち「機会」の開示を強化する必要があるという点である。今後、1.5℃上昇シナリオを目指す中で、企業や産業界では移行期における多大な投資が必要となるが、そのためのトランジション・ファイナンス(脱炭素社会へ移行するために必要な資金)を提供する金融機関にとっては、「リスク」以上に「機会」の開示が重要であるとの意見が出された。実際に、統合報告書やサステナビリティレポートにおけるTCFD提言に基づく開示では、「リスク」については財務影響を詳細に分析し、定量的に影響額を示している会社は少なくないが、「機会」については定性的で限られた情報にとどまる場合が多い。「リスク」は炭素税導入や工場の物理的被害など定量化しやすい項目が多いのに対し、「機会」は不確定要因が多く、金額に落とし込むのが難しいという事情もあろう。多くの企業が掲げる2050年のカーボンニュートラル達成のためには、移行期の「機会」を明示して成長シナリオを描き必要な資金調達を行うことが、今後はますます求められるだけに、官民挙げての大きな課題となろう。
そうしたなか、筆者がアナリスト時代に担当していた化学業界では、気候変動抑制などサステナビリティに寄与する製品の収益拡大を目標として提示する企業が増えており注目される。住友化学は、気候変動対応、環境負荷低減、資源有効利用に貢献する製品・技術をSumika Sustainable Solutionsと呼び、その売上収益を目標のKPIとしている。2030年度に1兆2,000億円の達成を目標とする(2021年度は6,212億円)。三井化学は、環境への貢献価値を「Blue Value」、QOL向上への貢献価値を「Rose Value」と定め、それぞれに該当する製品の売上収益比率を2030年に40%以上とするKPIを掲げている(2021年度はそれぞれ18%、20%)。いずれも統合報告書のTCFD提言に沿った開示の中で「機会」として明記されている。
TCFDガイダンス3.0公表
10月5日にはまた、TCFDコンソーシアムからTCFDガイダンス3.0(TCFD_Guidance_3.0_J.pdf (tcfd-consortium.jp)が公表された。TCFDは、2021年10月に「気候関連財務情報開示タスクフォースの提言の実施」と「指標、目標、移行計画に関するガイダンス」を公表し、2017年に公表したTCFD最終提言を補完する情報の提供や詳細な解説を行っている。TCFDガイダンス3.0は、これらTCFDの最新の内容を反映したことに加えて、昨今の気候変動問題に関する情勢の進展を踏まえた内容となっている。また、今回、業種別ガイダンスが別冊として作成されており、10業種について開示推奨項目が掲げられている(TCFD_Guidance_3.0_ssrd_J.pdf (tcfd-consortium.jp))。TCFDガイダンス3.0は、上述のように、プライム市場の全ての上場企業にTCFDまたはそれに準ずる情報開示が求められていることを踏まえ、開示への取り組みの拡充途上にある企業を主な対象にしているとのことである(「気候関連財務情報開示に関するガイダンス3.0(TCFDガイダンス3.0)」を公表しました。 | TCFDコンソーシアム (tcfd-consortium.jp))。
TCFDガイダンス3.0は、すでに情報開示が進んでいる企業にとっては、TCFDが開示する最先端の論点を参考にさらに進展させることで有用である一方、これから気候変動情報の開示を検討する企業にとっては、優先順位の高い開示項目やその段階的な充実の目安となる内容となっている。サステナビリティ関連の財務情報の開示は、数年内に有価証券報告書での制度開示が必要になる。気候変動関連の情報は、コーポレートガバナンス・コードという“ソフトロー”によって、プライム市場の上場企業にとっては事実上の義務となっている。今回のTCFDサミット2022でのディスカッションとTCFDガイダンス3.0は、サステナビリティ関連情報の開示の着手・強化を検討する企業にとっては極めて重要であろう。
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