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「バッターボックスに立つ権利」-プライム市場選択の費用対効果(飯塚尚己)

プライム基準を充たさない上場企業の3類型

先週末、東京証券取引所は、上場企業各社に来年4月の市場再編後の適合状況を通知した。東証一部上場企業2191社のうち、一部市場のステータスを事実上引き継ぐ「プライム市場」の基準に適合しない企業は全体の3割の664社であった。これら企業は、時価総額の観点から3つのグループに分類できる。

第1は、時価総額が十分大きいにもかかわらず、流通株式比率が35%を下回っている企業である(注1)。時価総額が300億円を超える企業でこのグループに分類される企業は、ほとんど親会社が存在する子会社企業である。いわゆる「親子上場企業」については、かねてより、少数株主の権利保護の観点などから株式市場でも問題視されてきた。これら企業については、今回の市場再編を契機として、親会社の完全子会社(非上場化)となるか、親会社の株式売却による完全別会社となるか、いずれかの選択をすることが理想的であろう。

第2は、時価総額が100億円を超えているが、流通時価総額が100億円を下回っている企業である。これら企業がプライム市場への上場を希望する場合、その主たる対策は流通株式比率の引き上げになるであろう。具体的には、実質的なオーナー保有株(役員等保有株式)の売却、政策保有株式の持ち合い解消、自己株式の消却などの対策が有効となる。

第3は、そもそも時価総額が100億円に達しない企業である。これら企業がプライム市場への上場を希望する場合、流通株式比率の引き上げに加えて、時価総額自体の引き上げが必要になってくる。いうまでもなく、プライム市場への適合のハードルが最も高いのは、この企業グループである。

プライム市場選択のメリット

改めてであるが、現在の東証一部上場企業は、2022年4月の新市場区分への移行にあたって、プライム市場あるいはスタンダード市場を選択することができる。ただ、弊社Webinarでもお伝えした通り、適合条件を充たさない上場企業がプライム市場への上場を選択する場合は、市場選択申告書等に加えて「新市場区分の上場維持基準の適合に向けた計画書(以下、適合計画書)」を東証に提出する必要がある。上場市場の選択は、極めて高度な経営判断である。プライム市場を選択するかスタンダード市場を選択するか、頭を悩ましている経営者も多いであろうし、また経営幹部の意見がなかなかまとまらないという企業も多いであろう。重要になるのは、市場選択にあたっての費用対効果を冷静に考えることであろう。以下、プライム市場を選択するにあたっての費用対効果に関する筆者の考えをまとめた。

第1に、プライム市場を選択するメリットは、「一部上場企業」のステータスを維持することができることである。東証は、株式市場の上場のメリットとして、①資金調達の円滑化・多様化、②企業の知名度の向上(筆者注:それに伴う金融機関や取引先の評価向上や優秀な人材確保)、③社内管理体制の充実と従業員の士気の向上、をあげている。そして、一般論として、こうした上場企業のメリットは、二部市場よりも一部市場が、新興市場よりも一部市場の方が大きい。企業がプライム市場ではなくスタンダード市場を選択した場合、こうしたメリットの一部を失う結果となろう。

第2に、プライム市場を選択することにより、企業は投資家の関心を維持あるいは向上させることができる。株式市場の企業への関心度を現す分かりやすい指標は売買代金である。直近1年間の東証一部市場企業の日次売買代金は平均1億3千万円、これに対して東証二部とJASDAQスタンダードの上場企業の日次売買代金は平均920万円と大きな格差がある。この差がそのままプライム市場とスタンダード市場の売買代金の格差となるとは限らない。ただ、現在の一部上場企業がスタンダード市場を選択した場合は、投資家の関心の低下とともに、売買代金が細っていくリスクを覚悟しなければならないであろう。

第3は、これは前述の第2の点に大きくかかわることなのだが、ベンチマーク株価指数であるTOPIXへの残留確率が高まると考えられることである。市場移行の直前の2022年4月1日に東証一部に上場していた企業は、その市場選択に関わらずTOPIXに残留することになる。ただ問題は、2022年10月の判定で流通株式時価総額が100億円に満たなかった企業は、「TOPIX段階的ウェイト低減銘柄」と認定され、2022年10月末よりTOPIXから段階的に除外されることになる(注2)。2023年10月の再判定時に流通時価総額が100億円を超えている企業はウェイトが元通りに復帰する可能性が残されているが、この時点でも流通時価総額基準を充たしていない企業は2025年1月時点でTOPIXから完全に除外される。流通時価総額や売買代金の拡大にあたっては、投資家の関心が高く流動性の高いプライム市場に上場する方が明らかに有利であろう。

2021年3月末の時点でGPIFなどの公的年金基金は65兆円(東証時価総額の8.9%)の国内株式を保有しているが、このうちの約7割はTOPIX連動型ETFにより運用されている。また、日本銀行は金融政策の一環として年間最大12兆円のETFを購入しているが、買入対象は全てTOPIX連動型ETFである。日銀のETF買入については毀誉褒貶相半ばするところがあるが、株式市場が調整局面にあるなかでの株価下支えの効果があることは間違いがない。TOPIXから脱落することは、中期的には公的機関という心強い株主と株価下落時のビルトインスタビライザーを失うことになるわけである。

第4は、やや些末なことであるかもしれないが、新市場上場のコストである。前述の通り、6月30日時点でプライム上場基準に適合しなかった企業は、東証に適合計画書を提出することにより、一定期間はプライム市場に上場を続けることができる(「経過措置」)。東証は適合計画書の内容を精査すると考えられるが、この際には新規上場時などに必要となる上場審査料は不要となる。一方、企業がいったんスタンダード市場に上場して、将来的にプライム市場に再上場する場合、上場審査料を含めた諸経費を負担する必要がある。「経過措置」期間中にプライム条件に適合しなかった企業は、将来的にスタンダード市場に再上場する必要に迫られるかもしれない。この場合、スタンダード市場への上場費用が必要になるが、その総額はプライム上場に比べて少ない水準となる(例えば、新規上場料はプライム市場の1,500万円に対してスタンダード市場は800万円)。

プライム市場選択のリスクとコスト

一方、プライム市場を選択することのリスク、あるいはコストにはどのような要素があるであろうか。

第1は、上場企業のステータスを失うリスクがあることである。周知のように、プライム市場の上場維持基準は、東証一部市場との比較で非常に厳しいものになる。特に、流通時価総額の上場維持基準が東証一部の10億円から100億円に引き上げられるのは、時価総額が小さい企業にとっては大きな脅威となろう。また、東証一部上場企業が上場維持基準を充たさなかった場合、現在の制度では東証二部市場に指定替えとなり上場企業のステータスを維持することができるが、新市場移行後にはこうした制度は適用されない。つまり、プライム上場企業が上場維持基準を充たさず、経過措置期間にそれが改善されなかった場合、プライム企業は非上場企業となってしまう。もちろん、スタンダード市場に上場申請をすることによって上場企業のステータスを維持することはできるが、これには新規上場の手続きが必要になる。

第2は、流通株式比率の引き上げに伴って、非友好的アクティビストによる介入や敵対的買収の対象となるリスクが高まることである。流通株式比率を引き上げるためには、役員等保有株の売却や政策保有株式の持合解消などの対応が不可欠になる。PBRが1倍を割れるなど市場評価の低い企業や現金保有比率が高い企業などは、流通株式比率の引き上げに合わせて、財務体質の改善やIR活動の強化などのアクティビスト対策を進める必要に迫られるかもしれない。

第3は、スタンダード市場に上場する場合との比較で、より高度なコーポレートガバナンス体制の構築やサステナビリティ情報の開示が求められることである。今年6月に再改訂された「コーポレートガバナンス・コード」では、プライム上場企業については、取締役会において独立社外取締役を3分の1以上選任すること、また指名委員会・報酬委員会においては独立社外取締役の過半数とすること、同委員会における独立性に関する考え方・権限・役割等を明らかにすることなどが「標準」とされた。サステナビリティ情報については、TCFD提言またはそれと同等の枠組みに基づく開示の質と量の充実が要求されることになる。来年の株主総会終了後に提出するコーポレートガバナンス報告書では、プライム上場企業はこれら原則へのコンプライ・オア・エクスプレインが求められることになる。

「剛速球」を打ち返すための準備

以上、現在の一部上場企業がプライム市場への上場を選択することの費用対効果を考えてきた。個人的には、プライム上場のメリットはそのリスクやコストを圧倒的に上回ると考える。また、敢えてリスクやコストという言葉を使ったが、そもそも企業価値の持続的な向上に努めることは経営の基本であり、コーポレートガバナンス体制の強化を含めたサステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)は、VUCA(変動制、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代の中で企業価値を引き上げる上で必要不可欠な対応である。プライム市場を選択するという決断は、その企業の経営者が企業価値の中期的な増大に対してコミットメントをするというシグナルを、株主を含めた全てのステークホルダーに対して送ることにつながる。

同時に、時価総額が100億円に満たない企業がプライム市場への上場を選択した場合、その適合に向けての計画の現実性は、政策当局を含めた市場関係者により厳しい精査を受けることになるであろう。経営者は、長期経営計画に基づく企業収益(EPS、EBITDA等)の成長戦略を示すとともに、ガバナンス・IR体制の強化による企業価値と時価総額のギャップの縮小や、サステナビリティ要因を含めたリスクや収益機会の開示などの対策に走り回らなければならないと考えられる。

ただ、これは大きなチャンスとも考えられる。投資のプロフェショナルである機関投資家の多くは、一般的に言って時価総額が非常に小さい企業への関心は低い。しかし、今回の市場改革でプライム市場を選択した企業の中で、例えば時価総額下位100社の企業は、良くも悪くも投資家やメディアの関心を惹きつけることになろう。プライム市場を選択した経営者には「バッターボックスに立つ権利」を得ることができるわけだ。

プライム上場を目指し必死の努力を決意した企業に対して、意地の悪い変化球を投げてくる投資家は多くないと考える。ただ、その成長戦略やサステナビリティ(ESG)対応などに不備があった場合、機関投資家は、正鵠を射た剛速球を投げ込んでくることは間違いないであろう。経営者やIR担当者は、適合計画書やガバナンス報告書を作成するにあたって、このことを十分に頭に入れておく必要がある。そして、剛速球を見事打ち返した経営者に対する株式市場の評価は間違いなく高まると考えられる。結果として、計画以上に早いタイミングでのプライム上場基準への適合が実現する可能性が高まることになろう。プレーボールは、東証が上場会社による市場選択の結果を公表する来年1月11日である。

注1 流通株式時価総額100億円以上というプライム上場維持基準は、流通株式比率が35%以上であれば時価総額が286億円以上であれば充たされる計算になる。

注2 判定は2022年10月に行われるが、その判定に用いられるデータは今年6月末の適合判定の翌会計年度末時点が基準となる。3月期決算企業であれば、2022年3月末が基準時点となり、流通株式時価総額の計算に使用される株価は、来年1月から3月の株価終値の平均値となる。

SESSAパートナーズ

チーフストラテジスト 飯塚尚己

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